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万里の長城

娘の高校合格旅行に北京に旅立った。
世界遺産ツアーで、一番行きたかった万里の長城。
到着してわくわくした。
女坂を歩いたけれど、階段があまりに急で,上がるときはよかったが
降るときは高所恐怖症ではない私でも恐かった。
往復で1時間15分位歩いたが、もっと上まで行きたかった。
あの雄大な景色は目に焼きついている。
ガイドさんが日本の僧侶は結婚をして酒も飲む、中国の僧侶は結婚しない
し酒も飲まない、真面目ですよ~と話してくれた。
日本の坊さんも見習ってほしいものです。
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セーラー服

娘は晴れて第一志望高校に合格し、入学式を終えた。
希望に胸を膨らませ、今日も登校した。
今の女子高生は超ミニスカートでおしゃれをたのしんでいるが
私も早速スカートを短く切って、ミシンで直してやった。
これが、普通なんだよな。
私が学生の時は長いスカートが格好良かった。
流行は変わる。
でも仏法は、どんなに世の中が変わっても、変わらない。
すべての人が、今救われる教えです。

お軽さんの歌

聞いてみなんせまことの道を 無理なおしへじゃないわいな
まこときくのがおまへはいやか なにがのぞみだあるぞいな


しんくさしたりかんなんくろう こゝろむつれのわしゆえに
(辛苦)   (艱難苦労)

こうも聞こえにゃ 聞かぬがましよ
聞かにゃおちるし 聞きゃ苦労
今の苦労は 先での楽と
気やすめいえど 気はすまぬ
すまぬこゝろを すましにかゝりや
雑修自力とすてられゝ
すてゝ出かくりゃ なほ気がすまぬ
思えば有念 思わにゃ無念
どこにお慈悲があるのやら
どうで他力になれぬ身は
自力さらばとひまをやり
わたしが胸とは手たたきで
たった一声聞いてみりゃ
この一声が千人力
四の五の云うたは昔のことよ
ぢゃとて地獄は恐ろしや
なんにも云わぬが こっちのねうち
そのまま来いのお勅命
いかなるおかるも 頭がさがる
連れて行かうぞ 連れられましょぞと
往生は投げた投げた

妙好人の方はうまく表現されますね。すごいな~
いつ読ませてもらっても、そうそうと頷ける。







加茂仰順氏、極難信

もしも真宗のおみのりは聞けば聞くほど難しいという者があるならば、それは理屈を知ろうと思うからです。真宗は、無上の妙果に至らせていただくのですが、その無上の妙果に至るのは易いが、真実の信心を得ることが難しい。なぜ難しいのかというと、真実の信心は、如来の加威力によるからである。また如来の大悲広恵の力によるからである。つまり、如来から与えて下さるものだから難しいのであります。
 それはまたなぜでありましょうか。与えて下さるものを私がつかもうとするから難しいのであります。
 与えて下さる如来の名号の親心を私がすなおに聞けばよいのですのに、それを私がしっかり信じてとか、称えてとか手を出します。ここに難しいといわれるところがあります。聞けば聞くほど難しいのではありません。聞いて信じて、しっかりなってと私が難しくしているのです。聞いて、こういうおかげでと理屈で知ろうと思うのです。私が信ずるということ、しっかりなろうとすることに力を入れるから難しいのです。
 如来はしっかり信じたら、称えたら、しっかりなったらというのではありません。よい加減のことであればどうでもよいのですが、弥陀のおさとりの得られるだけのものだとなると、私ごとき者に出来るものではありません。だから、こちらからどうにかなってではなく、如来からそのお助けがあらわれて下さらねばなりません。
 それは私が見とどけてとか、それをしっかり仕とおせとかいうものではありません。
 如来のお助けはよびごえとなって、私の中へあらわれて下さるのであります。如来のお助けのはたらきが声となってあらわれて下さるのであります。この私のあさましさに泣いているのであればまだしもですが、今のすがたが悪いとも気付かず、これでよいのだという日暮しをしております。それゆえこの私に慈悲の涙を流されているのです。
 この私のために本願をたて、それを仕上げていま南無阿弥陀仏となって、私を喚んで下されてあるのです。あさましい私を知って、その知った私を助けて下さるのが南無阿弥陀仏だとなると、罪福信ずる行者になります。お助けも代償になってしまいます。私は自分のことも問題とせず、しらぬ顔の者だそうですが、私が問題とせねばならぬことを、如来が心配して下さるのが真宗であります。私の助けられてゆく法までを如来が心配下されて、成就して下されたのが南無阿弥陀仏であります。それゆえ南無阿弥陀仏を向こうに置いて信じにかかるのではなく、南無阿弥陀仏のはたらきが、私にあらわれて下さるのであります。(中略)そういういわれの南無阿弥陀仏を、信じよう、いただこうとと手を出すものですから、いただけないのです。難信の法とは、ここのところを仰せられたのです。難しいのは法ではありません。ゆきやすい、こころえやすい法を私の計らいをもって、いただきにかかるところに、難信の法にしてしまっているのであります。

極難信・・・何回も繰り返し読ませて頂きました。しっかり信じて助かろうとどれだけ力んでいたことか・・・・そのままがわからなかったのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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